山河あり

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2 塘沽から仙崎港へ  Ⅰ ー ⅰ

 「お〜い!陸が見えるぞぉ〜!内地だぞぉ〜!」という声に「わ〜っ!」という歓声が広がった。船底から次々と人があがってくる。男も女も必死に目をこらしている。が、島影はまだぼんやりとしか見えていない。
 お構いなく、乗客たちは見とれていた。口々に「やっぱり綺麗だねェ、日本は」と叫ぶように言葉をかわしあっている。船足は速くはなかったが、青海島の青みが少し濃くなった。ぼんやりとしか見えないのは距離が遠いからばかりではなく、桜の花が山並みを覆いつくしているからでもあるようだ。
 「でもねェ。それから上陸まで二日もかかったんやで」
  湾のあちこちにはまだ機雷が残っているかもしれないという。安全を確認していたのか、掃海をしていたのか。じりじりと待つ乗客たち、つまり「引揚者」には詳しい説明はなかった。
 上陸したのが山口県の仙崎港であったことを父も母も長く語らなかった。どこでも良かったのか、軽々しく言ってはならぬことだったのか、あえて聞いてはいない。
 この港が「引揚者」の敗戦の終着点であり、この港から戦後が始まったのである。そのためか引揚者の意識のなかでは、帰国できた時期の差によって敗戦の終わりや戦後の始まりが少しずつ微妙にずれている。復員兵にとっても同じことかも知れない。
 中国残留孤児や、非道な道に追いやられざるを得なかった「従軍慰安婦」にとっては未だに終戦の終着点にもたどり着けず、もちろん戦後の生活すら始まっていないのである。終戦のどさくさの中に取り残されているわけだ。
 
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by sanngaarii | 2007-01-28 12:33 | 焼け跡・闇市幼年時代